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【アレンジ】呼び込み君(nc120639)削除について

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東証全部退場です。

2026/01/16付でニコニ・コモンズから表題の素材を削除しました。

理由1.著作権上の責任を取り切れないから

ニコニ・コモンズの利点は素材使用に問題が生じた際の責任所在の明確さにあるものと当方は解釈しています。

(今まで1件もなかった以上考えにくいですが)著作権に関する訴えが生じた際には基本的に東証全部退場に責任が回ってくることになり、そこまで対応しきるのは非現実的と考えた次第です。

理由2.誰でも作れるような内容だから

フリーソフトのDominoでソラで15分くらいで打ち込んだ耳コピですらない代物です。

理由3.そんな内容に対する利用希望の急増に懸念を覚えたから

最近になって、突然DLの通知が止まない事態となりました。

動画制作に対して競技人口が増えたものとして歓迎すべきところですが、著しく完成度の低い当該素材に対して「呼び込み君の音が欲しい」という需要がここまで増えた事実から、あまりよろしくない懸念が生じてしまったのが本音です。

どうして今の今まで放っておいたのか

怖がらせたくなかったからです。

ニコニ・コモンズの仕様上、アップロード素材を削除するとDLしたユーザー全員に通知が飛びます。

当該素材をアップロードした高校一年生当時の私は、幾度となくこの通知にビビらされてきました。

それを避けるべく留意事項の追記や利用可能範囲の改変等で済ませようと尽力しましたが、その間にもDL数(すなわち飛んでしまう通知の件数)は増え続け、削除以外の解決はないと判断しました。

救済措置

当該音源を作成した際の編集データを以下に添付します。

以降当該音源を新規でご利用の際は、フリーソフトのDominoを用いてこちらを開き、適宜音声ファイルとして書き出しをお願いいたします。

動画編集に必要な基礎知識でいけるはずです。

「にじいろのうた」の歌詞はブチ切れながら書いた

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どうも、Dance on Yakiudonです。

去るMIKUEC2020、テーマソングである「ナナイロ」をななみつき氏と担当する光栄な機会を頂きました。めちゃめちゃ良い作品が出来上がってよかったです。

さて、MIKUEC2020に私はもう1曲提供しています。公式コンピ「ナナイロ」に収録された「にじいろのうた feat.音街ウナ」です。

現在YouTubeおよびniconicoに投稿されていますのでよろしければどうぞ。

MIKUEC2020のテーマは「カラフル」。にじいろのうたもそれにちなんだものとなっています。

それと同時に、にじいろとは相反して一色に染まり上がる日本のカルチャーに失望する内容でもあります。

米津玄師が嫌いである

まず、私は米津玄師の作る音楽が好きではありません。

彼の人格や経歴どうこうではなく、単純に彼の音楽が私には全く響かないのです。

だからといって私は彼の作る音楽が劣っているとは思いませんし「好き」という思いを否定するつもりはありません。

人にはそれぞれの好みがあり、時には相容れないことは分かっているつもりです。

しかし今の日本は私のような人間を許してはくれないようなのです。

大衆の評価は絶対的という傲慢

言わずもがな米津玄師は現在日本で最も人気と言っていいアーティストです。

彼の作る音楽は絶対に良い、批判する人はおかしい、何故なら大半の日本人に愛されているからーーーー そう考える人が少なからず居るでしょう。

彼らの言い分は結局「大衆が好むものは絶対的に優れている」という極めて自分勝手なものです。

そして嫌う人間を「世間と違う俺カッケー!!」などという厨二病として一括りにするのです。

世間で多様性が叫ばれる中、日本人は結局心の奥底で画一化を美徳としている、そんな気がしています。

そしてTwitterで「大衆の流行に乗れないのは『自分には本来持ち合わせている感受性も美的センスも存在しない』と自白しているだけ」という意見を目にし、遂に怒り心頭といったわけです。

そして歌詞に怒りをぶつけた

“君は今何色の絵の具で どんな生活を描こうとしてるの?”

私は多様性を色になぞらえ、歌詞を書いていくことにしました。

“違う人なら違う色 絵の具たちが混ざってカラフルになる”

人それぞれ違う好みがあるのだから、絵の具を置いたパレットは鮮やかに彩られているはずです。

“虹色に彩られた世界を 僕はさらに鮮やかにする”

自分の作品もまたひとつの多様性であり、他にない独自のものです。

“僕は歌いたい 自分の色を描き出すために”
“それが虹色の 一部分になれたらいいな”
“君の描く虹に 僕の曲が溶け込めるかどうか“
”分からないけれど 僕はずっと歌い続けるよ”

自分の作品を人に見てもらうというのは、自分の絵の具を他の人のパレットに乗せる行為です。

絵の具を受け取った側は気に入れば自分の色の一部にし、そうでなければ払い捨てればいいのです。ただ作品を作る身としてはやはり前者を望んでしまいます。

“だけど今周りを見渡せば 誰も彼もが同じ色を好んで”

今の日本にフォーカスします。

日本人は日本人という集団として同じものを好みがちであり、それを逸脱した者を笑い者にするフシがあると思っています。

“七色の虹の綺麗さは もう誰も覚えてない興味もない”

多様性とは名ばかりで、はみ出し者を嗤っているじゃあないですか。

“僕は一色に染まった世界に 自分色の絵の具まいて”

そんな中でも作品を通じてできることは自分の色を表現することだけです。

“僕は歌いたい 自分の色を描き出すために”
”それが虹色を また蘇らせられるように“
“君の描く虹に 僕の曲が溶け込めるかどうか“
”分からないけれど 僕はずっと歌い続けるよ“

若干の無力感はありつつ、自分らしく表現することを辞めたくはないのです。

”僕の声が届く人なんて ほんの一握りだ“
”僕が歌ったところで 何も変わらないけど“

特に私のような零細クリエイターともなるといくら表現をしたところでかなり低い水準で限界が存在するのが事実です。

”全ての人が 違う色を持ってるこの世界で“
”自分の色を描けるのは 僕ひとりなんだ“

しかしいくら零細であろうと「独自性」というものは全てのクリエイターに備わっているものです。

”僕の曲を聞いてくれて 『好き』と言ってくれる人が“
”一人でもいるなら 僕はずっと歌い続けるよ“

極端な話、自分の絵の具を一枚のパレットに垂らすことができればクリエイターとして成功だと思っています。それが何十枚、何百枚となれば当然嬉しいですがね。

自分にしか作れない自分の作品が人から評価される、それだけでクリエイターとしての私は幸せなのです。(向上心がないと言われればそれまでですが。)

VOCALOIDは「楽器」か「人間」か ~”Star”に込められた真意~

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どうも、絶賛バイト中のkayolabo801です。(バイトちゃんとやれ)

さて、「VOCALOID」という文化はもはや日本中どこにいても聞くほど非常にメジャーなものとなっています。

皆さんご存知のとおり「VOCALOID」はYAMAHA社が開発した歌声合成エンジンで、その中にクリプトンフューチャーメディア社の「初音ミク」、インターネット社の「GUMI」、1st Place社の「IA」等のライブラリが存在します。

VOCALOIDはYAMAHAが開発した「楽器」であることは間違いありません。

しかし、今はそれだけで括るべきではない、いや、括ってはならないのではないかと考えています。初音ミクをはじめとするVOCALOIDのキャラクターはステージの上で歌ったり自らをテーマとした曲を数多く持ったりし、「人間」として扱われているところが非常に大きいです。

MIKUECの空気に馴染めなかった自分

私は2018年の大学入学と同時に零細ながらボカロPとしての活動を開始しました。そしてその年の11月に開催された第2回MIKUECライブに感銘を受け、「VOCALOIDクリエイターとして手伝えることはないか」と思い翌年5月に運営サークルである電気通信大学バーチャルライブ研究会に入部しました。

当時の私はVOCALOIDを「楽器」としてとらえ、自分の打ち込んだ通りに歌ってくれる音声ライブラリとしか思っていませんでした。

しかし入部して目の前に現れたのは、VOCALOIDが「人間」であることを前提とした創作活動の場でした。

楽器であるはずのVOCALOIDが「生きている」扱いを受け、皆がそれに賛同する。私は強烈な違和感を抱きました。

サークルの空気に馴染めなさ過ぎて、退部を考えていた時期もありました。

初音ミクに「絶望」したボカロP

VOCALOID文化に詳しい方なら誰を指しているか一瞬で分かるかと思います。

私が先述した葛藤を繰り広げている中、マジカルミライ2019が開催されました。

マジカルミライ2019のインタビュー記事によると、彼は「偶像として自立していきボカロPのものでなくなっていく初音ミクに『絶望』した」と話しています。

彼はVOCALOIDを完全に「楽器」として扱い、「人間」として扱う文化に異を唱えたのです。

しかし、私はこの考え方に賛同すれど、ひとつ違うと思った点があります。

マジカルミライ2019テーマソング「ブレス・ユア・ブレス」の中にこのような歌詞があります。

『 今やもう 誰の目にも同じ ひとりの人間 』

初音ミクを人間として扱う文化は確かに主流ではありますが、それは「ひとりの人間」としてのものではないと私は考えます。ボカロPをはじめとするクリエイター、及びボカロ曲を聴くすべての人にそれぞれ違う「初音ミク」が存在する、というのが正しい解釈なのではないでしょうか。

以前「初音ミクと結婚する」と宣言した男性がいらっしゃいましたが、騒ぎ立てる人はごく少なかったですね。これは皆が「初音ミクのことを考えるすべての人にそれぞれの初音ミクがいる」ことを認めているという証拠に他ならないのではないでしょうか。

“Star”は私の出した結論

そんな中自分はVOCALOIDとどう向き合っていけばいいのか。ずっと考えていました。

そんな中第3回MIKUEC公式アルバムの楽曲制作が始まりました。

私はMIKUECのテーマである「ワンダーランド」を完全無視し(マジでごめんなさい)、この場で「私はVOCALOIDとこう向き合っていく」という決意を表明しようと考えました。

そしてひねり出した歌詞が「VOCALOIDを「楽器」として購入した主人公が伸び悩む再生数に苦悩するも、自分自身の役目は『自分が持て囃される』ことではなく『VOCALOIDを輝かせてあげる』ことであると気付く」というものでした。

つまりはVOCALOIDが「人間」であるという考え方に迎合したわけです。

誤解を招かないように申し上げると、私が「VOCALOIDは『楽器』である」という考えを曲げたわけではありません。

私は今、VOCALOIDを「楽器であるが、擬人化して楽しむこともできるもの」であると考えています。そして「擬人化したほうが楽しいから人間として扱ってみようか」と考えたのです。

まとめ

VOCALOIDが「楽器」であるという考え方と「人間」であるという考え方は決して相容れないものです。

しかし、それを争う必要などないのではないでしょうか。

VOCALOIDを想う人全てにそれぞれ違うVOCALOIDが居る。私はそれでいいのだと思っています。